旅に出る(ビエンチャン〜バンコク経由)
都合4年も放置し、存在すら忘れかけていた旅ブログ。
現在は職場も変わり、年齢も正真正銘のアラサーとなってしまった。
十分にモラトリアムを満喫した最後の春休み。
昨年行ったラオスについては帰国直後すぐに記事を書こうと意気込んでいたが、すっかり忘れてしまっていた。
帰国後の余韻が心地良い国、ラオス。
東南アジア最後の秘境。
首都であるビエンチャンは「世界一何も無い首都」と言われている。
バックパッカー崩れと、その仲間たちには非常に有名な沈没地として有名なラオス。
しかし、それは世界遺産のルアンパバーンや、ネパールのカトマンズと並んで聖地的な扱いを受けているバンビエンであり、ビエンチャンの名前はどこにも出てこない。
私自身、ラオスに特段の執着心があったわけではなく、沢山の観光スポットがあるわけでも、アンダーグラウンドな場所に溢れているわけでもでもない。
いずれも東南アジアでは最弱の国だろう。
しかし、そんな「世界一何もない首都」という贅沢な響きに惹かれ、渡航を決意。
思いを馳せた。
出発前夜は西船橋の大衆酒場で1人で前夜祭を決行。
出発当日の朝、ある男のけたたましい叫び声と共に起床する。
見かけると幸せになれるらしい京急の黄色い電車。
幸せな気持ちで成田空港を目指す。
現在、日本国内からラオスへの直行便は無い。
幸せの黄色い飛行機、Scootに乗ってバンコク・ドンムアン国際空港へ。
バンコクまで7時間弱のフライトだが、前日の西船橋で「タフ・ナイト」をやらかしているのですぐに就寝。
気がついたら既にバンコクまでの飛行時間は50分を切っていた。
ドンムアン空港に着いてから入国カードを記入。
東南アジアの旅はおおらかさと適当さが何よりも重要である。
安いチンピラみたいな格好でスクンビット通りを闊歩。
ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代はもう終わり、エズラ・ヴォーゲルが泣いている。
華僑、印僑のマネタライズパワーに屈する。
この日はこのままバンコク・ナイトを満喫し、翌日のフライトでビエンチャンへ。
バンコクを離陸して約1時間、
ビエンチャン・ワットタイ国際空港に着陸。
世界一何も無い首都だけあって、人はまばら。
東南アジアお馴染みの料金固定エアポートタクシーに乗り、ホテルへ向かう。
ビエンチャンの繁華街。
何も無いというのは本当らしい。
空港から市街地のホテルまで約1時間。
何も無いだけでなく、空港までも遠い。
今日泊まるホテルは、冷房、シャワー、無料wi-fi、ウェルカムウォーターが付いて1泊$15。
何も無いだけでなく、ホテルもバンコク並みの物価が印象的だ。
バックパッカーの聖地と言いつつ、生活コストは概して東南アジアでも最高水準ではないか。
生活必需品の殆どを輸入品に頼っているため、店のプライスタグだけ見ると中進国かと錯覚する。
とても最貧国とは思えない。
チェックイン後は市街地を散策。
バンビエンのような自然も見当たらず、筆頭すべき事柄がない。
世界一何も無いという称号は伊達ではなかった。
唯一の観光地らしい「観光地」。
ラオスの国章にもなっている仏塔タート・ルアン。
ただし、カンボジアのアンコールワット程の知名度が無いので観光客もまばら。
タート・ルアン公園内にある仏像。
けたたましい男が祈りを捧げる。
何を祈ることがあるのだろう。
ジェイムズ・T・デイヴィスばりのふざけた行為である。
世界平和? World Peace?
ビエンチャンのもう一つの観光名所(?)パトゥーサイ。
ラオス内戦の集結と、パテート・ラーオの勝利を記念して建立された東洋版、パリの凱旋門。
パテート・ラーオとは、1950〜60年代に大流行した赤い過激な人達。
後のラオス国家建設戦線。
そんなパトゥーサイ上層階からは市内が一望できる。曰く、絶景らしい。
UNCTAD(国際連合貿易開発会議)の報告書によると、東南アジア諸国は2025年までにカンボジアを除く全ての国がLDC(後発開発途上国)から除外される見込みだ。
つまり、ミャンマーや急成長するバングラデシュと共に、ラオスもLDCを脱する。
しかし、その絶景を見ていると甚だ疑問である。
恐らく誰もが見てもプノンペンのほうが活気に満ち溢れていると感じるだろう。
この後、ラオスで1番有名なラオス料理専門店、その名も「ラオ・キッチン」で昼食。
プノンペンにはFCCカフェという、ポル・ポト政権下に外国人特派員が集って食事をした政治好きにはロマン溢れる有名なレストランがある。
しかし、ラオ・キッチンはそういった類の場所ではない。
単に外国人向けに本格的なラオス料理を作る店。
メニュー表記も英語のみ。
ラオス名物「ラーブ」。
とても辛い。
ちなみに、ラオス観光における食事事情だが、好みの問題もあるが日本人には合わない気がした。
個人的には、東南アジアの中でもトップクラスに食事は不味い。
現地の食事が口に合わずとも、他の東南アジア諸国の首都ならば、大抵は吉野家や大戸屋、一風堂など日本のチェーン店が進出していたり、駐在員向けの日本食料理屋がある。
しかし、ビエンチャンではほぼ皆無。
そもそも外資チェーン店がほぼ無い。スターバックスはおろか、マクドナルドも無い。
唯一あるのはTexas CHICKEN(北米チェーンChurch's Chiken - 日本未進出)のみ。
ビエンチャンで外食をする場合、大抵このようなレストランで食事を摂ることになる。
大抵の場合はラオス料理とタイ料理のミックスのようなメニュー構成で、どこかタイとは違う味付けがなされており、恐らく一週間滞在していたら嫌気が差してくる。
唯一の救いがラオ・ビア。
シンハとほぼ同じ味付けで、それでいて非常に安い。
〜ビエンチャン周辺観光〜
ビエンチャンから行ける観光スポット、「タイ・ラオス友好橋」。
タイ国政府観光庁が大々的に宣伝しているあたり、もはやラオスの観光名所と言っていいのか。
ビエンチャンから1時間足らずで行ける。
メコンを挟んだ対岸はタイ北部のこれも一部の人達には大人気な町、ノーンカーイ。
ビエンチャンよりも都会である。
ノーンカーイには空港が無い為、タイ側からラオス国境を渡る場合はウドーンターニー空港を経由しバスで国境越えするのが最短ルートとなる。
鉄道での国境越えも可能である。
比較的しっかりした国境なので、ラオス・カンボジア国境の陸路越えのように、国境両サイドでスタンプ、ヘルスチェック料と称する賄賂が必要なことはない。
とは言えいい加減そうなトゥクトゥク、白タクのドライバー達がたむろしている光景は東南アジア共通であり、勿論ここも例外ではない。
特にラオス側で注意すべきことは、英語が通じるドライバーが極端に少ないことだ。
我々もそんなドライバーに国境付近で拉致られ、20ドルを搾取され、半強制的に敢行されたツアーで連れて行かれたのがブッダ・パーク。
無数の仏像が無造作に並べられている何ともカオスで、色気の無い場所だった。
20ドルを返して欲しい。
ビエンチャンに戻り、やる事も尽きてきた。
それならばやはり楽しみは夜だと考え、何とかアンダーグラウンドな場所を探そうとした。しかし、めぼしい場所は見当たらず早々に切り上げた。レベルの高い先輩方はこんな所でも見つけられるのだろう。
翌日からは昼からビールを飲み、メコン川のほとりで煙草を吸い、そして酔った勢いで購入したサッカーボールで現地の子供とサッカーに勤しむというような、まさに絵に描いたような沈没生活だったが、怠惰に過ごした時間が1番しっくりしていた気がする。
恐らくビエンチャンの滞在は、怠惰に過ごすのが正解なのだろう。
少なくともビエンチャンはメインで観光するような場所ではない。
〜ビエンチャン総括〜
①物価は総じて高い
特にペットボトルの水やシャンプー等生活必需品は、バンコクと同水準だと思っていい。
ただし、4GのSIM カードは激安なので、SIM フリーのスマホはほぼ必須である。
②交通費も高い
日本人だと分かると、都内のタクシー並のふざけた値段を当たり前のようにふっかけてくる。
下げてもバンコクと同水準までしか下がらないが、乗り合いトゥクトゥクは格安。
③英語はあまり通じない
とは言え大体は値段交渉なので、数字くらいは英語で通じる。
④通貨が面倒
ラオスの通貨はキープ(LAK)。
1$約8000キープで、少額キープは紙屑同然の価値しかない。
当然成田空港でもキープなんて超マイナー通貨を換金してくれないので余ったキープは帰国前に寄付するしかない。ご丁寧にビエンチャン空港の出発ターミナルには大量の募金箱が設置されている。
ODAで肥えた途上国らしい開き直りを感じる光景だ。
更に面倒なのは、弱小通貨なのにラオス国内ではキープ払いが原則となっていること。
米ドル、タイバーツ共に流通はしているが、ラオス人は計算に疎い。
平気で数年前のレートを使ったり、かなり滅茶苦茶などんぶり換算をされて大体こちらが大損する羽目になるので注意が必要だ。
⑤観光地・夜遊びはほぼ皆無
建前上は上記の通り。
本音の話をすればそれなりの覚悟が必要。
〜【番外】最終日、バンコク〜
バンコク最終日、スクンビット通りの韓国料理屋でけたたましい男と焼肉を食べてる時に、
何の気なしにある男に数ヶ月振りに電話したら、
まさか、バンコクにいたのか君は。
あの時はごめんね、須藤君。
Fin.