mudaiの夏休み

国内、海外放浪記をつらつらと綴るチラ裏

旅に出る(ビエンチャン〜バンコク経由)

都合4年も放置し、存在すら忘れかけていた旅ブログ。

現在は職場も変わり、年齢も正真正銘のアラサーとなってしまった。

 

 

十分にモラトリアムを満喫した最後の春休み。

昨年行ったラオスについては帰国直後すぐに記事を書こうと意気込んでいたが、すっかり忘れてしまっていた。

 

 

帰国後の余韻が心地良い国、ラオス

東南アジア最後の秘境。

首都であるビエンチャンは「世界一何も無い首都」と言われている。

 

 

バックパッカー崩れと、その仲間たちには非常に有名な沈没地として有名なラオス

しかし、それは世界遺産ルアンパバーンや、ネパールのカトマンズと並んで聖地的な扱いを受けているバンビエンであり、ビエンチャンの名前はどこにも出てこない。

 

 

私自身、ラオスに特段の執着心があったわけではなく、沢山の観光スポットがあるわけでも、アンダーグラウンドな場所に溢れているわけでもでもない。

いずれも東南アジアでは最弱の国だろう。 

しかし、そんな「世界一何もない首都」という贅沢な響きに惹かれ、渡航を決意。

思いを馳せた。

 

出発前夜は西船橋の大衆酒場で1人で前夜祭を決行。

出発当日の朝、ある男のけたたましい叫び声と共に起床する。

 

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見かけると幸せになれるらしい京急の黄色い電車。

幸せな気持ちで成田空港を目指す。

 

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現在、日本国内からラオスへの直行便は無い。

幸せの黄色い飛行機、Scootに乗ってバンコク・ドンムアン国際空港へ。

バンコクまで7時間弱のフライトだが、前日の西船橋で「タフ・ナイト」をやらかしているのですぐに就寝。

気がついたら既にバンコクまでの飛行時間は50分を切っていた。

 

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ドンムアン空港に着いてから入国カードを記入。

東南アジアの旅はおおらかさと適当さが何よりも重要である。

 

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安いチンピラみたいな格好でスクンビット通りを闊歩。

ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代はもう終わり、エズラ・ヴォーゲルが泣いている。

華僑、印僑のマネタライズパワーに屈する。

この日はこのままバンコク・ナイトを満喫し、翌日のフライトでビエンチャンへ。

 

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バンコクを離陸して約1時間、

ビエンチャン・ワットタイ国際空港に着陸。

 

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世界一何も無い首都だけあって、人はまばら。

東南アジアお馴染みの料金固定エアポートタクシーに乗り、ホテルへ向かう。

 

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ビエンチャンの繁華街。

 

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何も無いというのは本当らしい。

空港から市街地のホテルまで約1時間。

何も無いだけでなく、空港までも遠い。

 

 

今日泊まるホテルは、冷房、シャワー、無料wi-fi、ウェルカムウォーターが付いて1泊$15。

何も無いだけでなく、ホテルもバンコク並みの物価が印象的だ。

バックパッカーの聖地と言いつつ、生活コストは概して東南アジアでも最高水準ではないか。

生活必需品の殆どを輸入品に頼っているため、店のプライスタグだけ見ると中進国かと錯覚する。

とても最貧国とは思えない。

 

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チェックイン後は市街地を散策。

バンビエンのような自然も見当たらず、筆頭すべき事柄がない。

世界一何も無いという称号は伊達ではなかった。

 

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唯一の観光地らしい「観光地」。

ラオスの国章にもなっている仏塔タート・ルアン。

 

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ただし、カンボジアアンコールワット程の知名度が無いので観光客もまばら。

 

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タート・ルアン公園内にある仏像。

けたたましい男が祈りを捧げる。

何を祈ることがあるのだろう。

ジェイムズ・T・デイヴィスばりのふざけた行為である。

世界平和? World Peace?

 

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ビエンチャンのもう一つの観光名所(?)パトゥーサイ。

ラオス内戦の集結と、パテート・ラーオの勝利を記念して建立された東洋版、パリの凱旋門

パテート・ラーオとは、1950〜60年代に大流行した赤い過激な人達。

後のラオス国家建設戦線。

そんなパトゥーサイ上層階からは市内が一望できる。曰く、絶景らしい。

 

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UNCTAD(国際連合貿易開発会議)の報告書によると、東南アジア諸国は2025年までにカンボジアを除く全ての国がLDC後発開発途上国)から除外される見込みだ。

つまり、ミャンマーや急成長するバングラデシュと共に、ラオスLDCを脱する。

しかし、その絶景を見ていると甚だ疑問である。

恐らく誰もが見てもプノンペンのほうが活気に満ち溢れていると感じるだろう。

 

 

この後、ラオスで1番有名なラオス料理専門店、その名も「ラオ・キッチン」で昼食。

プノンペンにはFCCカフェという、ポル・ポト政権下に外国人特派員が集って食事をした政治好きにはロマン溢れる有名なレストランがある。

しかし、ラオ・キッチンはそういった類の場所ではない。

単に外国人向けに本格的なラオス料理を作る店。

メニュー表記も英語のみ。

 

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ラオス名物「ラーブ」。

ナンプラーとハーブと肉を炒めたラオス名物料理。

とても辛い。

ちなみに、ラオス観光における食事事情だが、好みの問題もあるが日本人には合わない気がした。

個人的には、東南アジアの中でもトップクラスに食事は不味い。

現地の食事が口に合わずとも、他の東南アジア諸国の首都ならば、大抵は吉野家大戸屋一風堂など日本のチェーン店が進出していたり、駐在員向けの日本食料理屋がある。

しかし、ビエンチャンではほぼ皆無。

そもそも外資チェーン店がほぼ無い。スターバックスはおろか、マクドナルドも無い。

唯一あるのはTexas CHICKEN(北米チェーンChurch's Chiken - 日本未進出)のみ。

 

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ビエンチャンで外食をする場合、大抵このようなレストランで食事を摂ることになる。

大抵の場合はラオス料理とタイ料理のミックスのようなメニュー構成で、どこかタイとは違う味付けがなされており、恐らく一週間滞在していたら嫌気が差してくる。

 

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唯一の救いがラオ・ビア。

シンハとほぼ同じ味付けで、それでいて非常に安い。

 

 

ビエンチャン周辺観光〜

 

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ビエンチャンから行ける観光スポット、「タイ・ラオス友好橋」。

タイ国政府観光庁が大々的に宣伝しているあたり、もはやラオスの観光名所と言っていいのか。

ビエンチャンから1時間足らずで行ける。

メコンを挟んだ対岸はタイ北部のこれも一部の人達には大人気な町、ノーンカーイ。

ビエンチャンよりも都会である。

ノーンカーイには空港が無い為、タイ側からラオス国境を渡る場合はウドーンターニー空港を経由しバスで国境越えするのが最短ルートとなる。

 

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鉄道での国境越えも可能である。

比較的しっかりした国境なので、ラオスカンボジア国境の陸路越えのように、国境両サイドでスタンプ、ヘルスチェック料と称する賄賂が必要なことはない。

とは言えいい加減そうなトゥクトゥク、白タクのドライバー達がたむろしている光景は東南アジア共通であり、勿論ここも例外ではない。

特にラオス側で注意すべきことは、英語が通じるドライバーが極端に少ないことだ。

我々もそんなドライバーに国境付近で拉致られ、20ドルを搾取され、半強制的に敢行されたツアーで連れて行かれたのがブッダ・パーク。

 

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無数の仏像が無造作に並べられている何ともカオスで、色気の無い場所だった。

20ドルを返して欲しい。

 

 

ビエンチャンに戻り、やる事も尽きてきた。

それならばやはり楽しみは夜だと考え、何とかアンダーグラウンドな場所を探そうとした。しかし、めぼしい場所は見当たらず早々に切り上げた。レベルの高い先輩方はこんな所でも見つけられるのだろう。

翌日からは昼からビールを飲み、メコン川のほとりで煙草を吸い、そして酔った勢いで購入したサッカーボールで現地の子供とサッカーに勤しむというような、まさに絵に描いたような沈没生活だったが、怠惰に過ごした時間が1番しっくりしていた気がする。

恐らくビエンチャンの滞在は、怠惰に過ごすのが正解なのだろう。

少なくともビエンチャンはメインで観光するような場所ではない。

 

 

ビエンチャン総括〜

 

①物価は総じて高い

特にペットボトルの水やシャンプー等生活必需品は、バンコクと同水準だと思っていい。

ただし、4GのSIM カードは激安なので、SIM フリーのスマホはほぼ必須である。

 

 

②交通費も高い

日本人だと分かると、都内のタクシー並のふざけた値段を当たり前のようにふっかけてくる。

下げてもバンコクと同水準までしか下がらないが、乗り合いトゥクトゥクは格安。

 

 

③英語はあまり通じない

ラオ語タイ語が話せなければ、ボディランゲージ必須。

とは言え大体は値段交渉なので、数字くらいは英語で通じる。

 

 

④通貨が面倒

ラオスの通貨はキープ(LAK)。

1$約8000キープで、少額キープは紙屑同然の価値しかない。

当然成田空港でもキープなんて超マイナー通貨を換金してくれないので余ったキープは帰国前に寄付するしかない。ご丁寧にビエンチャン空港の出発ターミナルには大量の募金箱が設置されている。

ODAで肥えた途上国らしい開き直りを感じる光景だ。

更に面倒なのは、弱小通貨なのにラオス国内ではキープ払いが原則となっていること。

米ドル、タイバーツ共に流通はしているが、ラオス人は計算に疎い。

平気で数年前のレートを使ったり、かなり滅茶苦茶などんぶり換算をされて大体こちらが大損する羽目になるので注意が必要だ。

 

 

⑤観光地・夜遊びはほぼ皆無

建前上は上記の通り。

本音の話をすればそれなりの覚悟が必要。

 

 

〜【番外】最終日、バンコク

 

ビエンチャンを出て、バンコクに到着。

バンコク最終日、スクンビット通りの韓国料理屋でけたたましい男と焼肉を食べてる時に、

何の気なしにある男に数ヶ月振りに電話したら、

まさか、バンコクにいたのか君は。

あの時はごめんね、須藤君。

 

 

Fin.

旅に出る(成田〜シドニー)

2016年12月30日。

早朝プノンペンから帰国し、同日19時過ぎにはシドニーへ出発。

最近流行りのエクストリーム出入国である。

結局、日本での滞在時間は12時間弱。

 

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寝不足から気分、機嫌ともに非常に悪い状態は継続中だが、19時にシドニー行きJL771便の優先搭乗が開始される。

機材はB777-300ER。主に北米線や欧州幹線に使用されるJALのフラッグシップであるが、機内の半分以上がファースト、ビジネス、プレミアムエコノミーで占められており、エコノミー利用者には少々肩身の狭い飛行機でもある。

 

 

 

エコノミークラスの座席は機体後方のみであり、まるで押し寿司のようにギュッと固まっている。「貧乏人は後ろに固まっていなさい」と言われているような気がして、少し悲しくなる。

 

 

 

しかし、幸い中央列通路側を確保出来たこと、隣が空席だったことで何とか気力を保てた。

また、JALご自慢「新感覚エコノミー(SKY WIDER)」は前席の圧迫感もなく、足元の空間も十分だった。

座席に関しては圧倒的に青よりも赤派である。

 

 

 

機内食を食べたのち、映画を観ながらウトウトし始めた頃にはグアムを通過。タイミング良く機内も消灯されたので、さあ寝ようかと思ったのもつかの間。突然飛行機が猛烈に揺れだした。

機長の「予想外の乱気流に遭遇したから席に戻ってね」のアナウンスと共に、ベルト着用サインが点灯。

 

 

 

この時期のオセアニア線は赤道付近で揺れて、揺れて、揺れまくる。

 

 

 

出発前から機内アナウンスで「グアム超えたあたりから揺れる」とは言っていたが、大型機でここまで揺れるとちょっと恐い。

結局、ニューギニア島を超えるあたりまで機体は揺れたり落ち着いたりを繰り返し、ロクに眠れないまま消灯時間が終了。機内ではコーヒーの匂いと共に朝食の準備が始まる。

 

 

 

過酷極まりない寝不足状態だが、朝日は容赦なく燦々と機内に降り注ぎ、前席ではしょーもないアベック仲睦まじいカップルが騒いでいる。

そんな中、死んだような顔で朝食を貪る東南アジア帰国直後でクソほど薄汚い25歳。

 

 

 

ホンマしばいたろか太陽のボケが…何を照っとんねん。雲も遮れや!どこで遊んどんねん。どついたろか。

 

バトルスタディーズ(4) (モーニング KC)

バトルスタディーズ(4) (モーニング KC)

 

 

 

 

その後は順調に飛行し、現地時間の午前7時前にはシドニー(キングスフォート・スミス)国際空港へ着陸。定刻よりも30分ほど早い到着だった。

入国審査は機械で行う。

以前はスタンプを押されない寂しさを感じたものだが、今日はとにかく早く通過できれば何でも良い。

いつもは厳しいオーストラリア税関も、この日ばかりはこちらの気持ちが通じたのか、大晦日だからなのかは分からないがほぼ顔パスで通過した。

 

 

 

そして、迎えに来てくれた父親と合流。

車に乗り込み、30分ほどで家に到着。家に着いたら充電がプツンと切れてしまい、死んだように眠った。

現地時間の夜、ようやく起床した頃には既にガキ使が始まっていた。

殆ど一日中寝たきりの大晦日を過ごし、日本より2時間早く年越しを迎えた。

旅に出る(カンボジア旅行〜動画まとめ)

@Flipagram スライドショー旅行記

 

flipagram.com

 

挿入歌:Save Tonight / Eagle Eye Cherry

Save Tonight

Save Tonight

  • イーグル・アイ・チェリー
  • ロック
  • ¥250

 

 

 

@YouTube トゥクトゥク車窓動画リンク

 

プノンペン①】

(Night Market〜AEON Mall Phnom Penh)

m.youtube.com

 

プノンペン②】

(130Street〜AEON Mall Phnom Penh)

m.youtube.com

 

プノンペン③】

(River Front Area〜National Museum)

m.youtube.com

 

シェムリアップ①】

(Oddar Meanchey Province, Tonle Sap)

m.youtube.com

 

シェムリアップ②】

(Oddar Meanchey Province, Tonle Sap)

m.youtube.com

旅に出る(12/30 @成田空港〜あとがき)

プノンペンを出て5時間弱。

日本時間で午前6時前に成田空港へ到着。

 

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ボーディングブリッジ越しの凍てつくような寒さで日本に帰って来たことを実感する。

この日の成田の朝の気温は-3℃と東南アジア帰りでなくとも堪える寒さだ。

それなのに我々は旅行気分のまま半袖帰国。

 

 

 

到着したのち到着ロビーで上着を羽織り、旅行の終わりを名残惜しみながら成田空港を散策。

私はこの日の夜便で両親と妹が住むシドニーへ帰省しなければならないため、S氏を見送ったのち成田空港内にあるトランジットホテルへ向かった。

別れ際S氏からダルマと文庫本を貰った。

どうやら私の両親へのプレゼントと買ってくれていたらしい。

有り難く頂いた。

 

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トランジットホテル(成田エアポートレストハウス)からの眺めは最高だった。

さすが空港敷地内だ。

ホテルに到着したのち、まずは埃と砂まみれの身体を丹念に洗い、伸びきった髭を処理する。

帰国直後は本当に浮浪者のような不潔感を漂わせていたため、このままシドニーへ向かえば親になんて言われるか分からない。

その後久々に観る日本のテレビをしばらく楽しみ、出発まで死んだように眠った。

 

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そして19時、シドニー行きJL771便の搭乗が開始。

疲れが殆ど取れていない身体でここから10時間のフライトにテンションは上がりっぱなしだ。

真ん中列の通路側を確保出来たのがせめてもの幸いだった。

 

 

 

シドニーの実家では基本的にダラダラ過ごしていたので特に記すことはないが、気が向いたらブログに記してみようかなと思う。

 

 

 

〜あとがき〜

 

 

 

旅行代理店やツアーを通さず完全に自分達のやりたいように日程を組んだカンボジア旅行は、個人的には大成功だった。

 

 

 

金銭的にも予想していた範囲内に収まり、仮にボッタくられても日本人感覚では大した金額ではない。また、大体のトラブルはお金で解決出来るわかりやすさもある。

そして、カンボジアの通貨はリエルだが殆ど$1以下の補助(小額)紙幣として以外は機能しておらず、どこに行っても米ドル払いが基本だったので金額交渉も分かりやすく楽だった。

 

 

 

何より助かったのがプノンペンシェムリアップ共に英語がほぼ100%の確率で通じたことだ。ホテルは勿論だがトゥクトゥクのドライバー、コンビニ、レストラン、観光名所どこにいっても英語の通用度は非常に高い。

日本などと違いカンボジアは殆ど産業が無いので必然的に観光業が重要視されている。プノンペンシェムリアップなどの都市部では観光客相手に英語または中国語が出来ないとまともな職につけないということだろう。

 

 

 

そして、S氏の英語力が思っていたよりも遥かに高かったこと。割と複雑な交渉も彼が一緒にこなしてくれたので本当に助かった。

 

 

 

 

 

 

タイやベトナムに飽きた人は、次は是非カンボジアをメインに回ってみて欲しい。

 

 

 

Fin.

旅に出る(12/29 @プノンペン4日目)

カンボジア滞在最終日。キリングフィールドとトゥール・スレン虐殺博物館へ向かう。

 

 

 

ホテル前に待機していたトゥクトゥクを夕方まで$20でチャーター。

時間があったのでまずは重要文化財のある国立博物館へ。

 

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アンコールワットにも勝るとも劣らない迫力。

館内には歴史問わずカンボジア国内から発見された重要文化財が展示されている。しかし、日本語か英語のガイドを付けるか、または解説書を持参しない限りは何が何だか全く分からない。

これらの文化財ヒンドゥー教の神々の石像)に興味が無いと長時間の見学は厳しいかもしれない。

 

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誰かに悪戯されたのか、博物館中庭で翼を怪我して飛べない鳩を見つけた。

この国では鳩もハードライフである。

 

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国立博物館には約40分の滞在だった。

あまり興味も無ければ知識も全く無い。

これでも頑張って理解しようとしたほうである。

 

 

 

次の目的地はトゥール・スレン虐殺博物館。

ここからキリングフィールド含め写真は殆ど撮っていない。

撮影禁止の場所が多く、また仮に撮影可能であったとしてもあまり撮影する気にはならない風景ばかりであったからだ。

 

 

 

トゥール・スレン虐殺博物館は、1975年以降のポル・ポト軍政下で行われた無理な社会主義改革で、多くの罪なき人々が粛清された拷問場所を博物館として公開している場所。

極端な原始社会主義反知性主義を推し進め、カンボジアの1/3の人口を虐殺したポル・ポト

現代史においてはスターリンヒトラーをも凌駕する虐殺者である。

当時S21と呼ばれたこの収容所は高校を改装して作られており、独居房、尋問室には今でも多数の生々しい血痕が残っている。

記録にあるだけで2万人以上の人が収容、虐殺され、残ってきたのはたった7人らしい。

 

 

 

日本語オーディオガイドのヘッドセット、日本語解説リーフレットを片手に施設を回ってゆく。

拷問当時の資料や写真は、人によっては気分が悪くなる恐れもある。

生々しい。

 

 

 

90分近くかけて全ての施設を練り歩いてみて、ポル・ポト政権下からさほど時間が経っていないプノンペンの街を見渡すと、なんとも不思議な気持ちになった。

知らないから悲しいわけでもないし、驚きというわけでもない。ただ、不思議な気持ちだった。

 

 

 

次はキリングフィールド。場所はプノンペン郊外にあるため、トゥクトゥクでも多少時間がかかってしまう。

ちなみにキリングフィールドはプノンペン郊外のものだけではなく、同じような施設がカンボジア国内全土に300近く存在していたという。 

 

 

 

S21に収容された人々はキリングフィールドで処刑された。

インテリを恐れたポル・ポトは最初は反乱因子とされる文字が読める知識人、芸術家、当時インテリの象徴とされた眼鏡を掛けた人々などを処刑した。

しかし、次第にポル・ポト率いるクメール・ルージュは一般のカンボジア人も粛清の対象とするようになったという。

 

 

 

キリングフィールドの見学方法もトゥール・スレン同様にオーディオガイドのヘッドセット、リーフレットの解説と共に回ってゆく。

もちろんここも日本語ガイドに対応している。特にここのオーディオは元クメール・ルージュ刑執行人の話や、ポル・ポトの晩年など興味深い内容を聴くことができる。

 

 

 

トゥール・スレン、キリングフィールドの帰り道、トゥクトゥクに乗ってプノンペンの街を見渡す。

この街のさらなる発展を心から期待した。

 

 

 

18時頃ホテルに帰り、プノンペンで最後の夕食。

22時50分のフライトなのであまりゆっくりしている暇はない。それにしても、最終日の夕食もホテル下のレストランで済ませるのが我々らしい。

結局ここには何回お世話になっただろうか。最終日の夜は遂に毎回頼んでいるオーダーを覚えられてしまった。お気に入りだったカンボジアビールを飲めるのも今夜が最後だ。

 

 

 

19時半頃、トゥクトゥクでホテルをあとにする。最後はやはりタクシーではなくトゥクトゥクに乗りたかった。

空港までの道中、プノンペンの街を目にしっかり焼き付ける。次もしプノンペンへ来たとき、どれだけ街が発展しているかを楽しみにしながら。

 

 

 

旅行初っ端からトゥクトゥクには苛々させられっぱなしであったが、今回の旅行の主役は良くも悪くもトゥクトゥクだった。なんだかんだ悪態をつきながらも我々はコレが好きらしい。

料金交渉からボッタクられるドキドキ感や、お金のことしか考えていない単純明快で正直者なドライバーとの会話、砂埃と排気ガスまみれの生温い風を感じながら街を熱走する日々が懐かしく感じる日々が来るかもしれない。

 

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プノンペン空港に到着。

ANAのチェックインカウンターには日本人スタッフ、日本人観光客が多く見受けられた。それらを見て、何事も無く帰国日を迎えられてよかったとホッとした。同時に名残惜しくもあった。

 

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搭乗ゲート前のスタバ。抹茶クリームフラペチーノのグランデが$3だったので、日本より少し安い?みたいだ。

人生で数えるほどしかスタバに行ったことがないので良く分からない。

 

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22時50分、NH818便が定刻通りに搭乗開始。

23時テイクオフ。

また来れると信じて。

カンボジアへ別れを告げた。

旅に出る(12/28 @プノンペン3日目)

前日の遺跡観光で予想以上に体力を削っていたのか、この日は移動以外何もしない日だった。

人によっては1週間かけて遺跡群を回る人もいるようだが、我々には到底真似できない。

 

 

 

プノンペンへの帰路も空路を使うことになった。

バスは現地人向けのバン、もしくはトラックの荷台しか空席がなく、まさか軍人のようにトラックの荷台で帰るわけにはいかないので、高かったが泣く泣くSkyscanner経由で航空券を手配。

 

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1人あたり$77。

プロモ価格なら$20前後で乗れるバサカ航空の安さを考えるとかなり高く感じるが、直前に取ってしまったことや時期を考慮すると妥当な金額だ。

受託手荷物20kgまで無料なのも有難い。

 

 

 

朝食を食べたのち、昨日お世話になったトゥクトゥクドライバーに空港まで送ってもらう。

値段は$10。

なんとも納得のいかない値段を当たり前のように言い放ってきたが、昨日はかなり渾身的に頑張ってくれたのでチップ代込みということで支払った。

満面の笑みを浮かべるドライバーと固い握手を交わし、チェックインカウンターへ。

 

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最近の海外の空港はeチケットなど見せずとも、パスポートさえ渡せば即座に搭乗券を発見してくれる。

 

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10時15分過ぎ、ほぼ定刻通りに搭乗開始。

機材はA320。まさかのジェット機だった。

バサカ航空について全く知らないのだが、機体横には大きく中国語が描かれていたり、機内でも当たり前のように中国語が流れていたので中国資本の航空会社なのかもしれない。

もしくは旅客の大半が中国人だからであろうか。

 

 

 

プノンペンまでの飛行予定時間は驚異(?)の40分だったが、恐らく離陸してから40分も経たずにプノンペン空港へ着陸した。

この価格、この飛行時間の短さでありながらしっかりドリンクサービスがあったことに感動。

そして、私たちの座席周りの乗客は日本人ばかりで何となく安心するフライトだった。

 

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プノンペン空港内の吉野家で昼食。

牛とチキンコンボのドリンクセットで$9。カンボジアの物価を考えると、高級レストランと言える値段設定だ。味はほとんど日本と変わらず。

もっとも、日本にはチキンコンボなんてメニューは無い。

 

 

 

ホテルまで空港タクシーを使おうと思ったが、またもトゥクトゥクの営業に捕まる。

プノンペンは初めてか?観光か?キリングフィールドに行くか?それとも実弾射撃に行くか?M60!知ってるか?ランボーの銃だ!嫌ならAK、何ならRPGもあるぞ?カンボジアだけだぞ?こんな無茶苦茶できるのは!日本人は実弾撃ったことないだろう!それともブンブン(風俗)か?カンボジア女性はかわいいぞ!」

マシンガンのように捲し立てられるも、ホテルに直行してくれとだけ告げる。

そして混もうが混むまいが、時間がいくらかかろうが$8以上払わないし実弾射撃もブンブンも行かないぞと念を押して乗車。

結果、ボラれることもなくホテルへ到着。こうなってくると初日の$15が本当に悔しく思えてくる。 

 

 

 

実はこの日の宿泊先は当日まで取っていなかったのだが、新しい安ホテルを開拓するのも面倒になり、結局初日から滞在していたホテルをBooking.com経由で予約。

到着後フロントのお姉さんは「あら、貴方たちまた来たのね」みたいなリアクションだった。

 

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慣れ親しんだリバーサイド。大勢の白人観光客に混じって出勤時間を待っているであろう売春婦、裸足でサッカーをしている少年、自分の身体より大きなゴミ袋を引きづりながら歩いている幼女、色々な人生が歩いている。

ベンチに腰掛けているだけでも花売りの少女に買ってくれとせがまれる。呂律の廻らないばあさんが唐突に怪しい葉っぱを巻きだし吸えと言い出す。

 

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風光明媚に見えるトンレサップ川。

少し川に近づけば何とも言えないゴミの悪臭がするし、岸にはゴミが散乱しハエと蚊が飛び交っている。

街には大量の野良犬が闊歩し、現地人曰く噛まれたら冗談では済まない。

 

 

 

治安の悪い場所なんだと思われるかもしれないが、こんな環境でも不思議と治安の悪さはあまり感じない。

これが現地人にとっての日常だからである。

よく分からない表現だが、その中で人々が必死に生きていて、それが当たり前だから、怖がることなんか何も無い。我々と同じ人間が普通に暮らせているのだから。

 

 

 

夕食を済まし、夜までS氏と酒を交わしながら色々なことを語らった。

プノンペンでも有数の繁華街リバーサイドを歩きながら、色々と考えさせられる一日だった。 

旅に出る(12/27 @シェムリアップ2日目)

カンボジア滞在のメインイベント、

アンコール遺跡群観光当日。

 

 

 

朝8時にトゥクトゥクドライバーとホテル前で待ち合わせをしていたので、7時に起床。

ホテルで朝食を済ませ、8時15分頃にホテルを出発。

 

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まずはアンコール遺跡群への入場チケットを購入するセンターを目指す。

少し肌寒い朝風が心地良い。

シェムリアップの市街地はプノンペンと比べると道幅も広く、交通量も比べ物にならない程少ないのでトゥクトゥクも走りやすそうだ。

 

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チケット購入センターは観光客でごった返していた。ツアー客、個人問わず日本人も多かった。

 

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これがアンコール遺跡群パス。1日有効で$20だが、現地人は無料。

遺跡毎にパスコントロールがあり、係の人にパスを見せて入場する。

ネプチューンの名倉は現地人に間違われて顔パスで入れたらしい。

 

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無事パスを入手し、携帯用ベープマットも装着し蚊対策も万全。

まずはアンコール・トム周辺の遺跡群を目指す。

 

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アンコール・トム周辺の遺跡群はとにかく数が多い。

短時間でグルグルと回っていくので、途中から何処が何なのか分からなくなりがちだ。

事前知識が無いと殆ど同じようにしか見えず、感覚的には京都への修学旅行に似ているかもしれない。

更に我々は日本語ガイドを付けていなかったので、JTBツアーの日本人客を妬ましく一暼、地球の歩き方を片手に頑張るしか無かった。

 

 

 

アンコール観光日数がたった1日のため、ルート決めは全てトゥクトゥクドライバーに任せた。

アンコール・トム遺跡群周辺はそれらの中心に位置するバイヨン、空中参道が特徴的なバプーオン、クリアン、タ・プロームを中心に回った。

 他にも色々と回ったが、後半はどこも同じように見えてきて全てを把握出来なかった。

どこの遺跡も観光客の多さで回廊内で頻繁に渋滞が発生しており、更に燦々と降り注ぐ直射日光でジワジワと体力は削られてゆく。

 

 

 

アンコール・トム周辺の遺跡を回ったあたりで時刻は13時頃。

遺跡内にある観光客向けのレストランで昼食。

毎度おなじみカオマンガイとフォーを頼んだが、観光地なので空港とさほど変わらない値段を取られた挙句、大して美味くもなかった。

食後はついにアンコール・ワットへ向かった。

午前中アンコール・ワットは逆光になるので基本的には午前アンコール・トム、午後にアンコール・ワットという巡礼ルートが基本らしい。

 

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アンコール・トムも凄かったが、アンコール・ワットの迫力はそれを大きく凌駕するものだった。

アンコール王朝、クメール建築、ヒンドゥー教について殆ど予備知識が無い状態だったが、そんな適当な観光客でも十分雄大さを実感する風格。

中央棟に到達するまでの回廊内部、特に第三回廊周辺はかなり混雑していたが、遺跡の1番外側の回廊である第一回廊には殆ど人がおらず落ち着いた雰囲気だ。

 

 

 

結局、午前中のアンコール・トム観光で相当疲弊していたのでアンコール・ワット観光は1時間半程で切り上げたが、一生に一回は来るべきだと思える場所だった。

この時点で時刻は16時前。トゥクトゥクのドライバーが$5チップをくれるならトンレサップ湖のクルーズに連れて行ってやると言ってきた。

今からホテルに帰ってもパブストリート、ナイトマーケットに繰り出すには早過ぎるし、とは言え遺跡観光もお腹いっぱいだったので、トンレサップ湖へ向かうことにした。

 

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アンコール・ワットからシェムリアップ中心街を抜け、郊外の住宅地を南下すること1時間。トンレサップ湖に到着し、トゥクトゥクドライバーがクルーズ船のチケットを手配してやると言ってきた。しかし私もS氏も船酔いするタイプだ。湖を眺めるだけにとどめておいた。

ドライバーは残念そうにしていた。恐らくクルーズ船のチケットを買えば幾らかドライバーにも取り分があったのだと思うが、無理強いされることも無かった。

 

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夕日が沈むにはまだ時間的にも早かったが、沈むまで湖を延々と眺めているのも退屈なので、30分ほどで撤収。もういいのか?とドライバーに声を掛けられたが、ホテルまで向かうように告げる。

 

 

 

トンレサップ湖から40分ほどでホテルに到着。

すぐさまシャワーを浴びて汗と砂埃を落とす。身体に赤土がびっしりこべりついており、擦らずとも水がやや茶色くなるほどだった。

 

 

 

シャワーを浴びすっきりした身体で夕飯を食べに行く。この日はナイトマーケット近辺にある韓国料理屋。

大変美味であったが、プルコギやチヂミをオーダーすると前菜も含め食べきれない量になってしまい、結局チヂミ等はテイクアウェイすることに。そして偶然なのかもしれないが、店内は日本人観光客でいっぱいだった。

 

 

 

その後はナイトマーケットでお土産を調達。クメールスカートやカンボジアシルクのスカーフ、訳の分からないアンコール・ワットのTシャツ等を買い込みホテルへ戻る。

 

 

 

この日は21時前にホテルへ戻ったが、相当疲れていたのか明日のパッキングを終えた瞬間に眠ってしまった。